故郷にて、いま思っていることをただただ書く~方言に魅力を感じて~

故郷に帰省した。
東京から新幹線がつながったことにより、10年前と比べると格段に移動しやすくなった場所だ。
私が今回乗った新幹線は、さまざまな事象が重なり満席。
さまざまな感情を乗せて、私も無事に目的の駅に着くことができた。

さて故郷に帰省し、コーヒー一杯頂いてこの記事を書いている。
最近帰省時には、PCを持ち帰っていなかったのだが、今回は荷物の中に忍ばせて移動している。
なにかの時に役に立つから、いいなと思ったからだ。ちなみに持ち帰らないときは、故郷に戻ってまでタスクをこなす気がない時である…。

故郷はいつ戻っても、私を受け入れてくれるからありがたい。
そして、のんびりゆっくり過ごすことが、贅沢になりつつある都市部の暮らしの中で、それが田舎では手軽にできてよいことが、いま実感している感情かもしれない。

その中で、私が「あっ、いま私は帰省しているのだ…」と、直感的に実感できる瞬間がある
人の会話だ。
とくに、方言を聞くと安心する。

近年は直接的には言われなくなったが、方言…というか、私のなまった言葉を小馬鹿にされる経験は、私も東京で受けた。
もちろんお相手も悪気があって指摘しているわけではないし、私もなまりを簡単に戻せるものでもないので、今や受け入れてはいるし何とも思わない。
でも、どこか「標準語(共通語)を話す」というところにプライドでもあるのかなと、疑問符をつけるときもあったりする…、そんなものはないとも言われそうではあるが…。

でもそれがきっかけで、田舎の方言に魅力を感じてしまうように、私自身なってしまったのかもしれないし、最近は大事にした方が良い、文学の一種なのかもしれないと思っている。

ちなみに私は、帰省した瞬間に方言が戻るタイプのようだ。
田舎では「標準語かぶれ」と、こちらでも小馬鹿にされそうだなと不安視していたが、そんなことは考えなくて良いのは大きなメリットである。

ビジネス的側面は東京には敵わない。
それでもいつか、故郷でも仕事ができるようにして、暮らしの幅が広げたいなと、今回の帰省で少々感じた。
結論、私はもう少し、東京でがんばってみる。

一旦、終わりです。

水垣 梓希