池袋FMにてラジオ放送中

酒に溺れるのもなかなか辛い

二日酔いである。
年末の焦燥感に駆られてしまい、大量のお酒を口に含んでしまったためだ。

この1年、とくに人間関係に振り回された。
例年のことでもあるかもしれないが、とくに出会い別れについては、私にとっては大きな影響を与えた年であった。
同じような1年は、もう過ごしたくない・・・と書きつつ、生きていたとしたら、またどこかのタイミングで、招いてもいないのに私の心に土足で入ってくると思う。

さてお酒の力を使って、やり場のない思いを払拭したかったのだが、そう上手くできたら人生もっと楽に生きることができるはずだ。
大量の飲酒は、一時的には負の感情を異空間に飛ばすことができても、二日酔いという名でまた頭の中へ戻ってくる・・・しかも、体にもダメージを与えるものであるから、客観的に見たら、実に愚かで無駄な行為といえる。

そう分かっていても、二日酔いになると分かっていても、実行したかった。
そんな感情だったのだろう・・・これだから12月は嫌いだ。

ところで、酒に溺れる生活というのも、限界があるなということを気づかされた。
お酒に懲りた私は、しばらく飲みたい気持ちがどこかへ行ってしまっている。
「酒に溺れる=怠惰」のようなイメージを、植えつける情報発信源が見受けられるが、意外と限界もあるものだと感じた。

酒に溺れるのも、なかなか勇気がいるし、継続することは辛いことなのかもしれない。
決して、アルコール中毒を肯定していないが、こうなってしまうほど人生にとって悪影響を受けた方の気持ちというのも、想像を絶するものなのかと感じた。

ここまで書いたが、ちなみに私は晩酌する習慣はない。本記事と関係ないが、タバコも吸わない。
ただいつの日か、絶望の淵に立たされた時、手を出す可能性だって否定できない。
それでも、酒に溺れるというのも辛いことなのだと、身をもって知れた年末であった。

焦燥感は、別の方法で忘却できればよいのだが・・・。

一旦、終わります。

水垣 梓希