とある新宿のスターバックスコーヒーが好きで、その空間に入ってはコーヒーをお願いし、席についてはゆっくり過ごすことがある。
その時間は私にとってもは開放的な時間で、スタバに立ち寄ることができるだけの時間的余裕がある証拠として根付いて知るかもしれない。
でも、ふと思ってしまうことがあって、その影響で生産性のある活動をしなければならない衝動に駆られてしまうことがある。
そのふと思う正体は、
420円分の価値のあることを、このスタバという空間で行っているのか?
と思うことだ。
新宿のスタバはゆっくりできるにも関わらず、活気もある空間だ。
周りを見渡すと、私にとってみれば、コーヒー1杯の価値のあることを行っている方々が見受けられる。
勉強している人、PC作業をしている人、読書している人・・・どれもこれからの自分に向けての投資だ。
そして、友人と大切な時間を過ごしている人もまた、ワンコインでは収まりきらない、計り知れない価値を持ったことであるし、ちょっとうらやましい。
もちろん私も利用ユーザーとして420円払っているわけだから、スタバ空間にいても構わない存在である。
でも、これを回収するだけの行動をこれから行うかと言われたら、疑問が残る。
もしかしたら、浪費に当たるのではないかもと思ってさえいる・・・でも自分の中で「スタバでゆっくり過ごす」が根付いてしまい、そう簡単に引っこ抜くこともまた難しい。
ジレンマ問題を抱えて、結局取り組んだことは、この文章を書きあげたことだ。
1円の価値もないが、悪あがきだと思って書き上げた。
このあとは、いきものがかりさんの楽曲を聴いて、ちょっと勇気をもらってスタバをあとにしようと思う。
ところで、420円はドリップコーヒーの価格です。一応、注釈です。
一旦、終わりです。
水垣 梓希